KISEI カナタ製作所の歴史

Brand History&Concept

1代目金田秀太郎の仕事

カナタ製作所は1927年に金田秀太郎によって設立され、設立当初は戦闘機の椅子を作っていました。
戦闘機の椅子を作っていれば、戦争に加担している事になり戦地へ行かなくてよかったそうです。
主に会社周辺の住民の方が中心となって製作をしていました。
終戦後は籐でできた家具同工場でを製作し、販売していました。(下記画像)工場のある富田林は竹の産地で、性質的に似た部分がある籐の加工も得意としたことがあったと考えられます。

昭和初期に販売していた籐でできた応接セット
昭和初期に販売していた籐でできた応接セット

2代目金田喜恵一の仕事

金田喜恵一は座椅子ブランド【KISEI】を立ち上げます。KISEIには工場の地名である【喜】志で【生】まれたを意味しており、アルファベットになる前は【㐂生】の名前で販売していました。
詳細な記録はないですが、1975年にはその名前を使っていたとされています。
KISEIは主に百貨店での展示販売を行い、2025年で50周年を迎えます。製品は金属フレームにウタンを巻いたもので、その高い品質と座り心地の良さが認められ、現在も受注をいただいています。。生地は昭和から根強い花柄や合皮がメインです。

現在の販売しており、今回のリブランディングの源流がここにあります。

3代目金田圭司の仕事

前述のKISEIはいわば百貨店に依存した販路しかなく、百貨店からの注文が途絶えると会社の存続が難しい状態でした。
その危機を打開すべく3代目社長の金田圭司と弟の金田善弘は1999年にインテリアブランド【SWITCH】を立ち上げます。当時、イームズなどミッドセンチュリーテイストの人気があり、そのテイストに沿うデザインのソファを開発製造し、大型展示会で発表しました。当初はKISEIと同様に金属フレームにウレタンを巻き、業務用の椅子脚を取り付けた製品が主流でしたが、時代の流れに合わせアイアンと無垢材を取り込んだ製品や、激戦した国産生地をラインナップに掲げ、SWITCHブランドを確立しました。デザイナーに頼らない現場目線の「SWITCHらしさ」を大切にした製品開発により人気を博し、25周年を迎えた現在では全国に取り扱い店様も増えています。

SWITCHの製品 ミッドセンチュリーからインダストリアル、ナチュラルまで生地と製品の組み合わせで自由自在。

2025年のKISEI

【SWITCH】が売り上げの大半を占め、【KISEI】は少なくなりましたが販売は続けている状態でした。社内会議にて売り上げもあまりないからやめるかどうかの話になり、リスクが大きいわけではないから続けていこうという事にはなっていました。
金田圭司の息子、金田直也の発案により【KISEI】のリブランディング案が上がり、実行に移していくことになりました。座椅子というものが『ダサいもの・安物・古民家のような家にしか合わない』という固定概念がある事に気付き、令和の生活に合うよう生地を選定し撮影とディレクションを進めました。
2025年2月吉日、リリースを迎えます。

座椅子というものの再認識

  • コンパクトだが、しっかりとした座り心地
  • 受注生産による生地のバリエーションの多さと類を見ない多様な生地
  • 自社生産に特化し、価格を抑えお客様の手の届きやすいものに
  • 1人暮らしでソファが置けなくても、ここに座ればゆっくりできる。いわば精神力(Magic Point)を回復できるような という意味でMP Chairの名を冠する。

座椅子=ダサくて、安いもの ではなく

座椅子=自分に合った長年寄り添ってくれるもの

そう思っていただける製品作りを続けてまいります。

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